
“昔は良かったね”と
いつも口にしながら
生きて 行くのは
本当に嫌だから~♪
以下スポルティーバ公式サイト 福西崇史が語る「ジュビロ黄金期の真実」より
・Jリーグ20周年特別企画Part.3
90年代後半から2000年代前半のJリーグをリードしたのはまぎれもなくジュビロ磐田である。97〜02年の間にステージ優勝6回、年間優勝3回と、まさに黄金時代と呼べる圧倒的な成績。福西崇史氏は、不動のボランチとして当時の「強いジュビロ」を支えたひとりだ。
■クラブ全体が、明確なビジョンのもと強いチームをめざした
僕がジュビロに入ったのは95年。ジュビロは93年のJリーグ初年度にリーグに加入できず、一年遅れての参戦となったわけですが、当時は中山(雅史)さんら実業団時代から在籍する選手たちを中心に、その悔しさを跳ね返してやろうという思いがすごく強かった。それが、オフト監督のもと強いチームを作っていくというクラブ全体としての明確なビジョンにもつながっていたように思いますね。
その情熱は外国人選手の獲得にも表れていました。ドゥンガ(元ブラジル代表)にファネンブルグ(元オランダ代表)にスキラッチ(元イタリア代表)。彼らのようなレベルの高い外国人プレイヤーたちから、僕ら日本人選手は技術的にもメンタル的にもすごくたくさんのことを学ぶことができましたし、今振り返ってみてもそれが後の強いジュビロにつながっていった印象はあります。
97年にはフェリペ(現ブラジル代表監督)が監督に就任。オフトからサッカーを学び、フェリペからブラジル人特有の勝利に対するメンタリティを叩き込まれ、この年は初のステージ優勝と年間優勝という大きな結果を残すことができました。クラブとして取り組んできたことが少しずつ実になってきたことを、僕ら選手自身が実感することができた年といえるでしょう。
そして2002年、ついに2ステージ制初の完全優勝を達成。当時のジュビロは、攻撃においても守備においても、常に選手たちが主体になってアクションを起こすサッカーをめざしていましたし、勝つためには何をすればよいかを常に考えながらプレイしていました。ブラジルに狡猾なプレイを意味する”マリーシア”というサッカー用語がありますが、まさにそれで、どんなことをしてでも勝ちにこだわる、ということをチーム全体が共通認識として持っていましたね。
プロである以上、勝利のためにサッカーをする。サポーターが見てくれている以上、常に楽しんでもらう。中山さんに名波(浩)さん、藤田(俊哉)さんら、個性的な選手がたくさんいたのでときには激しい意見交換もありましたけど、監督も含めてチーム全体がそういった同じベクトルを持ってサッカーをしていました。ベストなやり方をみんなで模索しながら、さらに強いチームを作るために努力をしていました。
実のところ、感覚としてはサッカー自体の内容は前年の2001年の方が良かったんですよ。でも、良かったのにチャンピオンシップで負けた。そのことが翌年の優勝の大きな原動力になりました。だから2002年は狙って獲りにいったチャンピオンシップ。同じ選手たちでずっとやってきた、まさに集大成でしたね。
もうひとつ、当時の印象に残っている思い出のひとつとして、やはり鹿島との対戦が挙げられます。シーズンによっては年に4回も5回も対戦していたわけで、お互い手の内を知り尽くした中で、いかにして相手を上回るいいサッカーをして勝つか。強かった鹿島に勝つためのプロセスも、チームを成長させた要因のひとつだったのではないでしょうか。■チーム作りの礎(いしずえ)となったのは、やはりドゥンガの存在■ジュビロ再建に向けて、今がふんばりどころ
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