
ご冥福をお祈りします
天国で夢のつづきを
詳細は以下から。
「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也(もちづき・みきや)さんが3日午前7時56分、肺腺がんのため川崎市中原区の関東労災病院で死去した。77歳だった。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻早苗(さなえ)さん。後日、しのぶ会を開く。
60年に漫画家デビューして、69年から10年間連載した「ワイルド7」で地位を築いた。犯罪者の中から選ばれた7人の警察官(ワイルド7)が白バイに乗り、超法規的な存在として悪人を裁くという物語で、大ヒットした。単行本は800万部以上を発行。テレビドラマや映画の原作になり、「新ワイルド7」などの続編が発表された。
昨年11月ごろから体調を崩し、入退院を繰り返していた。それでも、トークショーなどに出席し、かつて描いた「俺の新選組」の続編執筆にも意欲をみせていた。先月13日には自身のホームページで闘病中であることを公表。同27日に池袋東武百貨店で開催した個展に来場していた。
漫画家として活躍するとともに、サッカーファンとしても有名だった。きっかけは、68年メキシコ五輪銅メダルメンバーたちとの出会い。84年に「サッカー嫌いを競技場で好きにさせよう」「ミイラとりをミイラにしよう」と、芸能人チーム「ザ・ミイラ」を結成。明石家さんま、木梨憲武、椎名桔平や元代表選手らがJ開幕前で低迷期の日本サッカー界を盛り上げた。また、黎明(れいめい)期の女子サッカーにも熱心で、自らチームを率いたこともあった。http://www.nikkansports.com/general/news/1626458.html
◆望月三起也(もちづき・みきや)1938年(昭13)12月16日、横浜市生まれ。60年に漫画家デビューし、69年に「少年キング」で「ワイルド7」の連載を開始。テレビドラマ化されるなど79年まで続き、その後も続編が出された。大のサッカーファンで、三菱時代からの浦和ファン。芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」の監督を務め、専門誌に連載「ワイルド・イレブン」を持っていた。
▼望月三起也氏、さんま・たけしとのサッカー秘話を語る
▼望月三起也が選んだベスト11
「ザ・ミイラ」ベスト11
ザ・ミイラに参加していた選手から選んだベストイレブンです。どの方も今の年齢でということではなく、一番コンディションのよかった時のものになります。

▼サッカーに対する夢
いままで夢見たことは現実になってきたんだ。杖をついてヨロヨロになる頃じゃないとムリだろうなと思っていたW杯で日章旗を振る夢も叶った。まさか元気なうちにW杯に行けるなんて思わなかったよ。Jリーグ設立以後の進化がものすごく早かったってことだよね。W杯優勝までと願ったら杖じゃ済まないだろうね。片足は棺桶かな(笑)。今はもう考えてないんだけど、前は国立競技場で死にたいなと思っていたんだよね。国立競技場の控え室から階段で5段上がって、ピッチの芝生を踏んだ瞬間に心臓麻痺で倒れるとか幸せな一生だろうなって(笑)。
◆サッカーを愛して止まないあの人のゆめのはなし┃望月三起也
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